秘色 ーhisokuー

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二児の母 くだらな〜い日常

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秘色ーhisokuー



自己紹介

秘色(hisoku)と申します。

現在30代、子供が生まれてから専業主婦です。

長男(5歳)長女(3歳)

家族4人暮らし

自分の経験したことが参考になればと色々書いております。

 

 

 

 

ブログの説明

 

   ● 子育ての記録 ● 

子供との日常や子育ての工夫などを書いています。

また、長男が川崎病を経験した記録や長女の斜視記録も今後書く予定…

 

 

● 切迫早産の記録 ●

切迫早産を経験した記録を書いています。

(長男長女を妊娠中、2回とも入院経験あり)

 

 

 ● マイホームの記録 ● 

ハウスメーカーで注文住宅を建てました。

おしゃれかどうかはわかりませんが…

自分なりに拘ったマイホーム!!

もちろん後悔した点もいくつかアリマス…

住んでみて感じた事など書いています。

 

 

 ● くだらない日常記録 ● 

趣味や好きなことについて書いています。

 

〔趣味〕

裁縫、料理、観葉植物、ピアノ…

 

〔好きなこと〕

観葉植物やインテリア雑貨を見ること

アニメを見ること

(リヴァイ、トラファルガー・ローが大好き)

ペンギンを眺めること…♡

私のルームメイトはウテメリンさん〜はじめに〜

 

 

はじめに

 

これは長女(第二子)を妊娠中

妊娠26週から36週まで入院した体験談です。

(ちなみに長男妊娠時も切迫早産にて入院経験あり)

 

入院中、お世話になったウテメリンさんの様子や子宮頸管の推移を

記録として書いています。

ウテメリンさんと入院生活を共にされている方の

参考になると嬉しいです。

                      

hisoku.hatenadiary.jp

 

子供が川崎病になった話

 

私の長男は4歳11ヶ月の頃、川崎病にかかりました。

今まで元気すぎる長男くんでしたので

(風邪もあまりかからなかった)

まさか我が子が川崎病になるとは思いもよりませんでした…

 

不安でいっぱいだった当時は

ひたすら川崎病について調べていました。

その時、同じような経験をされた方々の経験談を見つけ

とても励みになりました。

 

あの時の私と同じように

この経験が参考になれば

少しでも不安を取り除けるものになればと

自分の経験を書くことにしました。

 

 

             ● 目次 ●
  1. 川崎病と診断される前の症状
  2. 川崎病と診断されてから入院をするまでの様子
  3. 入院中の様子とその後の経過
  4. 退院後の様子
  5. 子供の川崎病を経験して感じたこと

 

1. 川崎病と診断される前の症状

1日目

最初は37〜38度程の発熱から始まりました。

 

発熱をした日は日曜日で休日診療所を受診しましたが

コロナ、インフルエンザの検査のみ行い解熱剤だけをもらいました。

 

夜には39〜40度ほど熱が上がり解熱剤を使用。

全く効果がありませんでした。

 

2日目

熱は下がらず近くの小児科を受診

医師からは恐らく風邪だろうと再度解熱剤と風邪薬を処方されました。

 

3日目

解熱剤を使用しても全く熱が下がりません。

足と首が痛み出す

首は動かすのも痛い状況

再度、小児科を受診…

おたふくかもしれないとのことでした。

 

このタイミングで別の小児科を受診しようか迷い始める。

2日目から食欲も減少し少量しか食べられない状態でした。

 

4日目

相変わらず熱は下がらない。

食欲もなくぐったりしている状況でした。

このタイミングで体に発疹が出てきたので

別の小児科を受診。

すぐに血液検査をしてもらいました

血液検査の結果があまりにも悪いのと、発疹、目の充血、イチゴしたっぽい…

恐らく川崎病の疑いがあるので入院…

直接大きい病院に向かうよう紹介状を受け取りました。

 

この時、私は予測もしていない言葉に動揺してしまい

少し涙を流してしまいました。

一番辛い状態なのは長男くんなのに…

イケナイ、我慢しなければと思ったのですが

 

心の中は

なんでもっと早くここに連れてきてあげなかったのだろう…

何がこうさせてしまったのだろう…

何が原因になってしまったのだろう…

あのときに巻き戻せれば…戻れれば…

そんな後悔ばかり巡っていました。

はい、情けないダメな母親です…。

 

旦那さんにその旨を伝えたところ

平日でしたが一緒に病院へ向かってくれました。

道中、一番辛いのは長男くんなんだから

しっかりしろと喝を入れられたのを覚えています。

 

 

2. 川崎病と診断されてから入院までの様子

公立病院に到着し受付をした後、

採血、採尿、心臓のエコー、肺のレントゲンを撮りました。

 

長男くんは採血と点滴のため一人で処置室にいたのですが、

廊下まで響き渡る、我が子の泣き叫ぶ声に心が締め付けられました。

代われるものならいますぐに代わってあげたい。

一人廊下でぐっと涙を堪えていました。

(旦那くんは下の子と車で待機しておりました。)

 

この日は偶然にも、小児心臓専門医の方が外来医で待機していたので

長男くんの心臓を隈なくエコーで見てもらえました。

 

心臓の一部血管がもしかしたら肥大しているのかもしれない。

本当に微妙なところ。

生まれつきなのかもしれないし、なんとも言えない。

それ以外は異常は見られない。

と診断されました。

 

長男くんは発疹と下がらない発熱、首の腫れが主な症状で

その時は川崎病髄膜炎かどちらかだと言われました。

川崎病にしては断定できるほどの症状が出揃っていないし

髄膜炎に関してはMRIを撮って見ないことには判断できない。

現状で判断できるのは川崎病の所見が3つあること

血液検査結果から見た川崎病の傾向が強いこと

心臓のエコーで一部気になる所見があったことから

川崎病である確率が高いと伝えられました。

 

そして2週間〜4週間の入院が必要になると告げられました。

 

川崎病に使われる薬の説明もこの時に受けました。

川崎病に使用される薬は免疫グロブリンアスピリン

症状が軽ければグロブリンアスピリンのみで対処できるが、

長男くんはおそらくステロイドも併用になると伝えられました。

また、グロブリンも恐らく1回では効果がないため、

2回の使用が必要になる可能性が高いこと、

そして、それでも効果が期待できなければ当院では対応出来なくなるので

転院して治療が必要と説明を受けました。

 

免疫グロブリンは一種の輸血と同じになること

ステロイドを服用しなければならないこと

もしかしたらこの病院では完治せず転院しなければならないこと

そもそも本当に川崎病なのか…

 

頭の中はパニックでした。

しかし、すぐにでも薬の投与を始めなければならなかったので

ためらう時間もなく同意書にサインをしました。

 

こうして川崎病の治療が始まりました。

 

 

3. 入院中の様子とその後の経過

長男の入院が決まり、同時に免疫グロブリンが投与されました。

免疫グロブリンは約1日かけてゆっくり身体に流し入れます。

(記憶が曖昧なのですが1回で10本分の薬を流し入れていたかと思います。)

 

長男くんは初めての点滴になれず、

私が入院の用意を病棟入口へ受け取りに行っている間に

点滴の管をぶち抜いてトイレに行ってしまいトイレが血だらけになっていました。

 

夜中、免疫グロブリンの投与も残りの2本になった時、

点滴の腕が腫れ上がっていることに気がつきました。

すぐにナースコールをして見てもらいましたが、

免疫グロブリンは点滴漏れが好ましくない薬だったようで

そのまま医師の診察になりました。

 

その後も皮膚科の専門医にも見てもらいましたが

最悪壊死してしまう可能性もあるので今はとにかく冷やして

軟膏を塗ってくださいと指示を受けました。

とても怖かったです。

 

免疫グロブリンをした後、あれほど下がらなかった熱も下がり始め

少しずつご飯も食べれるようになりました。

翌日に目の充血、イチゴ舌の症状が出たので

やはり川崎病だと医師から伝えられました。

川崎病は6つの症状のうち5つ以上当てはまると川崎病と判断されます。)

 

1回目の投与から2日後…

再熱してしまい2回目の免疫グロブリンの投与が始まりました。

前回、点滴が漏れたこともあり今回は1日以上かけて前回よりもゆっくり投与をしました。

 

点滴が漏れてしまった腕は、少しずつ腫れもひき

皮膚科の医師からも後遺症が残ることはなく軟膏も終わりで大丈夫と言われました。

最初、壊死するかもしれないと言われていたので安心しましたが、

それほどの薬であるならもう少し慎重に投与すべきなのではとも思いました。

2回目は頻繁に看護師さんが針が刺さっている腕を確認していました。

 

2回目の免疫グロブリン投与後、経過は良好でした。

ステロイドも経口薬に切り替わったので点滴も外れ

行動範囲も広がりまったりと過ごしておりました。

 

途中、再熱した時がありましたが

血液検査等の結果からは川崎病の症状は見られず

翌日には解熱しました。

 

週毎に血液検査を実施しておりましたが

徐々に正常の数値に戻りました。

 

これは長男くんの採血結果の推移です。

手書きの数字は退院時の数値

一番左の数値が入院時の数値(右側にいくほど数値が正常値に)



ステロイドの服用は続いていましたが

徐々に量も減らし退院前にはアスピリンだけになりました。

 

 

参考までに長男くんが今回の治療で使用した薬の写真も載せておきます。

入院時の投薬一覧(免疫グロブリンは後日2回目追加されました)



 

川崎病になると心臓をエコーで定期的に検査をしますが、

エコーの方はあまり最初と変わらず…

医師からもどこかが肥大している感じもないので大丈夫ですと言われました。

 

 

長男くんは免疫グロブリンを2回投与しステロイドも併用していたので、

入院期間は1ヶ月でした。

入院の付き添いは1日だけ旦那くんに交代してもらい

(下の子の様子が気になっていたのと、入院生活で欲しい物など揃えたかったので)

残りは長男くんと一緒に病院で過ごしました。

保護者の付き添い入院は慣れるまでは本当に大変でした。

(保護者の付き添い入院で大変だったことについては別の機会に書きたいと思います。)

 

1ヶ月間の入院を経て長男くんは無事退院しました。

 

 

退院後の様子

退院後はすぐに自宅に帰宅しました。

長男くんが食べたいと昼食にパスタを食べました。

 

しかし、美味しいと食べていたパスタを嘔吐…

検温をしたところ39度…

まさかこんなことになるとは…

やっと帰宅したと思ったら、もしかしたらまた再入院か…

 

腹痛も訴えていたのですぐに入院病棟に連絡をして、

緊急外来に入院準備も持って向かいました。

緊急外来の当直医師が状況を知りこちらの様子を察してくれたのか、

病棟の小児医師を呼んでくれました。

 

診察結果は多分胃腸風邪。

川崎病の気配があるのかもしれないし

ないのかもしれない

どちらにせよ川崎病が再発していたとしても

今は様子を見るしかありませんと言われました。

その日は解熱剤だけをもらい翌日に外来にて診察予約を入れてもらいました。

 

帰宅しすぐに解熱剤を使用した所、

すぐに解熱しました。

そう。

解熱剤が効いたのです。

川崎病にかかっていた時は全く効かなかったので

なんとなく安堵しました。

 

翌日も念のため病院で診察してもらいましたが、

胃腸風邪でした。

(この胃腸風邪は強力すぎて家族全員にうつりました。)

 

 

胃腸風邪もすっかり良くなり退院から1週間後には

幼稚園に登園できました。

 

 

退院後に気をつけていたことは、3つ程でした。

1つ目は、引き続きアスピリンは2ヶ月間服用をしていたので

幼稚園で出血した際、薬の影響で血が固まりにくいので

気にかけてもらうように伝えていました。

2つ目は、アスピリンの服用中インフルエンザに感染すると

稀に脳炎を起こすことがあると医師から言われていたので

幼稚園生活時マスクは必須でした。

3つ目は免疫グロブリン投与の関係で予防接種時期を遅らせる必要があったので

5歳になった長男くんは麻疹とおたふくの2回目を接種予定でしたが

麻疹は1年、おたふくは半年以上あけてから接種するようにしました。

 

 

通院については5年間は予後経過観察をする必要があり

1ヶ月、3ヶ月、6ヶ月、1年〜と検診までの期間が少しずつ伸びていくみたいです。

 

子供の川崎病を経験して感じたこと

川崎病とはいまだに詳しい原因がわかっていない病です。

 

なぜ自分の子が罹ったのか、

何が原因だったのか、

そんなものは考えてもわからないです。

恐らく今後もっと川崎病の研究が進まないとわからないことです。

 

私もしばらくは川崎病について調べ

何が原因だったかを突き止めようと

自分を納得させようと必死でした。

川崎病になってしまった原因は自分のせいではないかと

何度も自分を責めました。

しかし、結果はわからないままでした。

 

 

そんな時、女医さんからかけられた言葉にハッとしました。

 

川崎病はきちんと治療すれば治る病気で、治らない病気ではないですよ“

 

私はこの言葉を聞き、

なんだか救われたような気がしました。

この女医さんは副医院長の立場の方でした。

きっとあらゆる種類の病気を見てきている人だからこそ

この言葉に説得力があったのかもしれません。

 

そう。

川崎病とは不治の病ではないこと。

確かにリスクの高い病気ではありますが、

適切に治療をすれば治るのです。

 

 

実際、退院してから長男くんは以前と変わらない生活をしています。

意外にも周りに川崎病を発症した子は何人かいて

どの子も変わらず元気に生活をしています。

私のように川崎病を経験した方の経験談を見ていても

退院後、元気にしている子が大半です。

 

 

恐らく長男くんは川崎病の治療内容の中でも

2回の免疫グロブリンステロイドを併用していたので

重症だったのではないかと思います。

そんな、長男くんでも1ヶ月の入院を経て治りました。

そして、今のところは薬の副作用もなく元気です。

心臓に動脈瘤もできていません。

免疫グロブリンも点滴から漏れていましたが、

腕に後遺症はありません。

 

今後どうなるかはわからないことも多く、

不安に思うことは確かに0%ではありません。

少し熱を出すだけで毎度眠れないくらい不安になりますし、

ほんと些細なことですぐに病院に駆け込む日々です。

 

しかし、今元気に生活できているということは

長男くんにとっても私にとっても何よりも幸せなことなのではないかと

感じています。

そして川崎病を経験したことにより、

以前よりも増して家族が当たり前に一緒にいることの

ありがたみを身にしみて感じました。

 

 

長々と書きましたが、ここまで読んで下さりありがとうございます。

拙いところも多く分かりにくい文章だったかもしれません。

この体験談が少しでも参考になれば

心の引っ掛かりを少しでもなくすことができれば

幸いです。

 

 

 

 

刺繍作ってみた

長男の依頼

「ボクの相棒(ポケモン)を作ってくれ」

君のためならカァちゃんは全力です

 

長男に頼まれたもの

長男は年長さん。

今、彼はポケモン大ブーム!!

 

ポケモンの中でもシャワーズが特にお気に入りで、

幼稚園のスモックに相棒シャワーズのワッペンをつけるのが夢らしい。

刺繍で作れないかと思い、作ってみた。

生地に下書きうつし

ちょっとお顔が歪んでいる…



後はひたすらチクチクタイム…

背後に大量のウィルキンソン



かんせーい!

長男「色が違うけど…うん、まぁいいよ!」

 

1週間かけて作成完了…したはずだけど

子供たちが寝静まった後にカァちゃんはひたすらチクチクタイム

腰も大爆発しそうなくらい痛かったよ…

この存在に気がついた長女ちゃん(3さい)

 

「あたちは、ニンフィアでええよん」

 

えっ…😱

現在、2つ目製作中…。

私のルームメイトはウテメリンさん〜part.1〜

切迫早産による入院生活

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〜 Part.1 〜

 

 

妊娠26週 入院宣

26週目に入り妊婦検診を受診。

本来ならば26週目の検診はエコーのみですが

長男の時にも切迫早産で入院していたので

念のため内診をしてもらいました。

 

“子宮頸管短いね、でも問題はそれだけじゃないよ。“

 

長男を妊娠していた際は

子宮頸管が短くなってしまったので入院となりましたが

今回はそれだけではなく開きかけていると伝えられました。

(分かりにくいと思うので、イラスト載せておきます↓)

 

 

内子宮口がじんわり開いていて子宮頸管がほぼない状態

外子宮口がかろうじて閉じている状態…

 

医師からは今すぐ入院してくださいと言われました。

 

2人目の妊娠中は長男もいますし絶対に切迫早産にならないよう

気をつけていたつもりでしたが…

体質でしょうか…

 

この時、2歳児だった長男は自宅で私と過ごしていたので

私が入院となると緊急一時保育の手続きをしなければならない…

そして旦那くんの仕事の帰りが遅い時など長男のお世話はどうするか…

考えなければならないことが山積みでした。

 

医師に相談し入院まで3日間の猶予をもらいました。

(渋々了承してもらいました…先生ありがとうございます…!)

 

入院するまでの3日間はウテメリン5mgを6時間おきに服用しました。

ウテメリンを内服してすぐ、長男の時と同じように

身体がだるく重く感じました…。

 

あぁ…またウテメリンさんとの共同生活が始まるのか…。

 

 

 

 

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